トップ東京都の伝承板橋区

降嫁の行列が避けた榎の下

所在地東京都板橋区本町(縁切り榎)
年代1804年(文化元年)
登場有栖川宮織仁親王息女楽宮
出典西郊民俗 縁切り榎

どんな伝承か

文化元年、有栖川宮織仁親王の息女楽宮が、十一代将軍徳川家斉の世子家慶のもとへ降嫁した。輿入れの一行は中山道をたどって江戸へ入る道筋だったが、板橋宿にある縁切り榎の前を晴れの行列が通るわけにはいかない。そこで本道を外れ、間道の根付道へ大きく回り道をしたと伝えられる。同じことは初めてではなく、寛延二年に閑院宮直仁親王の息女五十宮が八代将軍吉宗の嗣子家治へ嫁したときも、やはり根付道へ迂回して縁切りの木を避けていた。

地図で位置を見る

※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

西郊民俗 縁切り榎(西郊民俗シリーズ・昭和中期~後期(推定1960年代~1970年代))

本書は東京都板橋区に存在した縁切り榎を中心とした江戸時代から現代に続く民間信仰の全容を描いた民俗学文献である。縁切り榎は旧中山道板橋宿の樹齢古い榎の木で、「縁つきいやの坂」という語呂合わせと、富士講中興の祖食行身禄が妻子との縁を切った場所という伝説により、男女の悪縁を断つ霊験があるとされた。樹皮の粉末を別れたい相手に飲ませるまじないが実践され、絵馬奉納も行われた。皇女の婚礼行列もこの地を避けて通行した。

種別から探す

縁切り榎婚礼のタブー

板橋区の伝承

同じ種別の伝承

同じ文献『西郊民俗 縁切り榎』の伝承