二十一種三十九枚が降った大瀬木村
どんな伝承か
慶応三年九月の下旬、下伊那の大瀬木村にもお札が降った。秋葉山大権現が九枚、天照皇太神宮が四枚、津島牛頭天王が三枚というふうに、数えると二十一種類、あわせて三十九枚にのぼったという。村では祝いを一夜かぎりに切り上げたが、近隣の村々は二夜三日にわたって祭りを続けた。三日市場村や山村、名古熊村では歌舞伎の狂言まで仕組まれ、町方に至っては五日六日と催しが続いたという。降った札の種類の多さが、この騒ぎの熱の高さを物語っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。