馬籠宿の水戸浪士仮装行列
どんな伝承か
木曽谷では十月十一日の三留野宿を皮切りに札降りの噂が広まり、馬籠宿でも慶応三年十月二十八日に産土神である諏訪神社の札が降り、翌日には問屋と本陣にも降った。折から宮普請で大勢が集まっていたので盛大に祝ったところ、二十九日には妻籠宿から、四年前にこの街道を通った水戸浪士に扮した行列がやって来た。引き馬に乗った子どもを交え、鎧兜に槍や弓矢を携えた百人余りの見事な行列だった。十一月一日には本陣と問屋が餅をまいて人が群がり、その後も大黒屋や笹屋などに札が降った。十三日の降札が最後となったが、産土神の遷宮が重なって、騒ぎは十九日まで続いた。
原典より
子どもは引き馬に乗り、鎧・兜・槍・弓・矢など軍中のいでたちをしたものおよそ一〇〇人あまりで、この行列は圧巻であったという。—— 長野県史 通史編 第6巻(長野県史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史)
『長野県史 通史編 第6巻』のうち、第七章第五節「木曽騒動とお札降り」の二「お札降り」の項を収める抜き書きで、冒頭は佐久地方の村方騒動と軽井沢宿の打ちこわしを述べる段の途中から始まる。慶応三年七月に三河で始まったお札降り・ええじゃないかが伊那谷と中山道を経て信濃に広がり、下伊那・上伊那・高遠・諏訪・木曽・松本平・北信の村や宿場で降札と祝祭が起きたさまを、村の記録や日記からたどる。最後に世直りへの期待と維新との関わりをまとめる。