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吉田の村々に相次いだ降札と俄

所在地愛知県豊橋市
年代慶応3年(1867)7月23日〜8月1日
登場羽田野敬雄、降札の村々で神事を執り行った神主
出典ええじゃないか

どんな伝承か

慶応三年七月二十三日、三河吉田では北側・中郷・西羽田・西町・西宿の村々が提灯を献じ、幟を立ててお百度詣りをした。夕方には西羽田村から若者と子供が紙幟を立て、住吉踊りをしてお祓を送って来て、夜は同村で神楽が行われた。二十四日にはお祓を八幡宮に飾って供え物をし、村役人・惣代をはじめ村中で神楽を執行ない、そのあと神酒・甘酒を飲んだ。八月一日には北側に秋葉山、西羽田に秋葉山と八幡宮、清水田に八幡宮の札が降り、神主羽田野敬雄が神事を執り行った。この日は下地町・船町から始まって吉田町中へ波及し、投餅や俄も出て、いわゆるええじゃないかの状態になったという。

原典より

八月一日、北側に秋葉山、西羽田に秋葉山と八幡宮、清水田に八幡宮、といったお札やお祓が降り、それぞれの村で祭祀するが、いずれも神主羽田野敬雄が神事を執行ない、村役人・惣代が参詣し、神事が終わると氏子に神酒が振舞われている。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

ええじゃないか(高木俊輔)

『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。

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秋葉山俄神楽投げ餅

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