京都の商家に降った恵比須と大黒
どんな伝承か
京都市中の降札は十月中旬に始まって下旬に流行となり、南は五条通、北は二条通、東は先斗町・祇園町・建仁寺前町、西は猪熊通に囲まれた、町の中心の商業地に集中した。降ったのは天照皇太神宮をはじめ大黒天・天満宮・稲荷・地蔵などの札のほか、石や木や金の仏像、小判や銭にまで及んだ。当時木版で刷られた『御代の栄』は五百四十七枚、『末代咄し』は六十一枚の内訳を伝える。京の商家に降った例を集めた後者では、金や木や石の神仏像が多く、その大半が商売繁昌の神である恵比須と大黒天だったという。
原典より
『末代咄し』の場合は、京都の商家に降った例で、金や木・石でつくった神仏像が多く、しかもその大部分が、商売繁昌・現世利益の神である蛭子(恵比須)・大黒天であった。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。