吉村寅太郎の墓に始まった残念さん参り
どんな伝承か
残念さん参りは、元治元年の禁門の変ののちに畿内で起きた。最初の例は、大和国吉野郡鷲家口にある吉村寅太郎の墓への参詣である。土佐藩の郷士の出で天誅組の総裁の一人だった吉村は、文久三年八月に大和五条で兵を挙げ、九月二十六日に鷲家口で志半ばに戦死した。翌元治元年から「天誅吉村大神儀」への参詣がはやり、河内や伊勢からも人が訪れた。死に際に「残念」と叫んだと地元では伝わるが真偽は分からない。年末には残念さんへの願かけ参りが流行し、五条代官の中村勘兵衛は石碑を壊して捨て、吉村を祀った大庄屋ら二十人を罰した。
原典より
元治元年末には「残念さん」への願かけ参りという形で参詣の流行があり、五条代官中村勘兵衛は、吉村の石碑を破壊して捨てるとともに、吉村を祀ったかどで大庄屋ら二〇人を処罰している。—— ええじゃないか(高木俊輔) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔)
『ええじゃないか』は、幕末維新期の民衆運動を研究してきた高木俊輔が、慶応三年から翌年にかけて広がった「お札降り」と「ええじゃないか」の乱舞を各地の史料からたどった歴史書である。三河吉田での初出から東海道、甲斐、江戸、信濃、伊勢、京都、大坂、中国、淡路、四国まで、日記や記録に残る降札と踊りを国ごとに述べる。概観と東国・西国の四章に続く終章で降札の作為者やおかげ参り、世直しとの関わりを論じ、参考文献を付す。