高見山と多武の峯の背比べ伝説
どんな伝承か
三、四年前、柳田国男は奈良からの帰りに当麻寺や河内を巡り、吉野川上流の鷲家口を人力車で通って、奈良と三重の境にある高見山の中腹に出た。昔、高見山と多武の峯が背比べをし、負けた高見山は悔しさのあまり自分の頭を飛ばしてしまったという伝説がある。そばには頭だといわれる高さ一丈ほどの岩がある。その間を杉谷といい、ここが大和と伊勢の境なので、高見山の頭は大和に、胴は伊勢にあることになるという。話好きの荷持が語るこうした伝説を楽しみながら、一行はさらに一里ほど歩いて伊勢の波瀬に着いた。
原典より
昔、高見山と多武の峯とが背比べし、高見山が負けて口惜しいので頭を飛ばしてしまったといふ伝説がある。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。