千鶴子の千里眼能力と悲劇的な末路
どんな伝承か
熊本の御船千鶴子は、日本の千里眼実験の始まりとなった人である。明治四十二年に透視の力を得て学者に認められ、東京に上ると鉛の厚板に挟んだ文字で練習を重ねたが、番町の大邸での公開実験では場慣れせず透視できず、練習用と実験用の器をすり替えたといううわさまで立った。帰り道に逗子か鎌倉で雨宮啓次郎の病と寿命を透視しようとしたが当たらなかった。郷里に戻るとほどなく丸亀に千里眼婦人が現れて評判を奪われ、力の衰えと家庭の悩みも重なって、明治四十四年一月十八日、父の家で毒を飲んで命を絶った。
原典より
終に明治四十四年一月十八日其父の宅に於て毒薬を服して自殺を遂げた。—— 心霊哲学の現状(高橋五郎・1919年(大正8年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊哲学の現状(高橋五郎・1919年(大正8年))
『心霊哲学の現状』は、高橋五郎が大正八年に著した心霊研究の概説書である。英国のロッジが戦死した子レイモンドの霊と交わした冥界通信をはじめ、欧米の交霊術と霊媒の実例を訳して紹介し、日本の催眠術と千里眼の流行、御船千鶴子・長尾郁子の事件、霊光や念写までを論じる。篇と章に分け、心霊哲学とキリスト教、クリスチャン・サイエンス、淘宮術との関係や、太霊道など国内の霊術諸派も取り上げ、ところどころに評註を添える。