福来邸の第八回念写と天の字
どんな伝承か
大正二年五月十日の夜八時、小石川の福来友吉博士の邸の座敷で、学者が判定の資料とするための第八回の念写実験が行われた。乾板は福来博士と久保良英文学士が封皮のまま密封して封印し、床の間の厨子に納めて扉にも封をし、博士が一歩も部屋を離れずに見張った。井上哲次郎博士、筧克彦法学博士らが到着すると戸を閉ざして出入りを禁じ、乾板を受け取った貞子は押しいただいて祈念し、五分ほどで指の形、金の字と物の影、天の字の三枚を写したと告げて横になった。別室で封印に異状がないのを確かめて現像すると、その言葉どおりに写っていた。書風は白隠か明本禅師に似るとされたという。
原典より
定刻に到り案内に感じて井上(哲)博士、筧法學博士後藤高等師範敎授桑田文學士來着直に門戸を閉ざし何人の出入をも許さず、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。