下穏田の離魂療法と霊写真の正体
どんな伝承か
東京の下穏田に「生霊医学会」の看板を掲げ、離魂療法とその通信教授をうたって堂々と構える霊術師がいた。人は肉体に縛られているから生まれつきの神通力を出せないが、霊魂を肉体から抜け出させれば、冥界との交信や予言、病気の平癒、願いの成就が思いどおりになると説いていた。警視庁で霊術の取り締まりにあたっていた池松重行が会を訪ねると、術師は、手前に自分の体、後ろにぼんやりと霊の姿が写るという写真を見せた。自分で撮ったという答えに、池松はシャッターを押したのは誰か、霊魂が千里を行き来できるなら警視庁の写真室で試してはどうかと詰め寄り、追い込まれた術師は実験の代わりに始末書を一枚差し出したという。
原典より
霊術師○○はいそいそと応待、一枚の怪写真をみせ前に写っているのが自分の肉体で、後に朦朧としたのが霊像なりという。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。