口縄坂の洞厳寺と違警罪の裁判
どんな伝承か
大阪の谷町台地、四天王寺に近い口縄坂を登りきった先の洞厳寺に、熊嶽は施術所を構えていた。明治三二年十月の終わり、天王寺警察の一団が寺に向かい、神仏に託して人を惑わしたとして大阪府違警罪で熊嶽を引き立てた。熊嶽は罪を認めず正式裁判を求め、大阪区裁判所の公判には数百人が押し寄せて入口のガラスまで割れた。判事に九字とは何かと問われると、その場で刃形の印を結んで傍聴席を沸かせ、法廷で歯を抜いて見せようとまで言ったが、証人の申請は退けられた。判決は科料一円二十五銭で、熊嶽は控訴して長島へ帰る船に乗った。
原典より
松屋町に荷車がゆきかい、朝夕の空気がめっきり冷たくなった十月も終りに近いある日、天王寺警察を出た一団の男たちが洞厳寺にむかっていた。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。