錦輝館に踏み込んだ警官と熊嶽の検挙
どんな伝承か
錦輝館の場面は、著者が当時の新聞記事や生存関係者の取材をもとに組み立てたものだという。熊嶽をめぐる記事は明治三三年ごろから増え、大阪では医師で剣客の細川見龍が術競べを申し込み、口縄坂の寺で立会いがあったと報じられた。本庄町や横浜でも記者が施術を見て、手も触れずに黒子が落ち歯が抜けたと書いている。東京では錦輝館に患者が押し寄せたが、明治三五年五月一六日、小雨の朝に殺気を覚えた熊嶽のもとへ巡査と警視庁の医事技師が踏み込み、無免許の医業として府令違反に問われ、神田警察署から告発された。
原典より
この朝、いつもの水垢離をとったあとの黙想中、彼は襲いかかろうとする殺気をふっと感じた。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。