検事の控訴と洞厳寺での逆転の策
どんな伝承か
科料の判決のあと長島へ帰った熊嶽は、十日ほど故郷で過ごし、母てつに一部始終を打ち明けて前科持ちになるぞと嘆かれた。晩秋の口縄坂を重い足取りで登って洞厳寺に戻ると、弁護士から、検事が罰金では足りないとして控訴したと告げられる。熊嶽は怒りで奮い立ち、法廷で術を見てもらえないのなら、この施術所に判事や検事を呼んで病人を治すところを見せればよいと思いついた。弁護士たちは前代未聞の申し出に苦心しながら根回しに奔走し、熊嶽は日に何度も水垢離をとって気力を高め、判官臨席の実験の日を迎えた。
原典より
このままでゆくと、熊嶽は大阪追放になるばかりか、他の地方でも次々と捕縄されるのは火をみるより明らかである。—— 霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・1983年(昭和58年))
『霊術家の饗宴』は、井村宏次が一九八三年に著した近代日本の霊術家の歴史である。明治から昭和初めにかけて、気合術・催眠術・霊子術などで民衆の病や苦しみを救おうとした霊術家たちの運動を、当時の新聞記事や刊行物、関係者の家族への取材をもとにたどる。プロローグと六章、エピローグからなり、浜口熊嶽、桑原天然、福来友吉と千里眼事件、太霊道の田中守平を章ごとに取りあげ、霊術ブームと取締法による衰退までを描く。