獄中で易を学んだ高島呑象
どんな伝承か
運勢暦の歴史を語る造暦家の山田翁の話として伝わる逸話である。かつて易者は乞食同然に見られていたが、高島嘉右衛門(呑象)が『高島易断』を出した明治三十三、四年ごろから易は全国に広まり、権威を持つようになった。呑象が易を学んだのは獄中で、明治十二年ごろ系図買いか何かで懲役三年となり、牢の中で四書五経、とりわけ易経を読み込んだという。独学ののち、暦道の家元にあたる京都の土御門家から免許を受けて易断を始めたとされる。土御門家は陰陽寮の暦・天文博士を世襲した家で、安倍晴明の流れをくむという。
原典より
吞象のことは卜占のところでもふれたが、かれが易断を勉強したのは牢獄のなかだった。—— 現代の迷信(今野圓輔・現代教養文庫・1961年(昭和36年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
現代の迷信(今野圓輔・現代教養文庫・1961年(昭和36年))
『現代の迷信』は、今野圓輔が昭和三十六年に著した、現代の俗信を一般の読者に向けて説いた読み物である。昭和三十年代の新聞・雑誌の報道や聞き書きを主な材料に、縁起かつぎ、前兆・占い・禁忌・まじない・願掛け、憑きもの落としの殺人や新興宗教の騒ぎまでを全国から拾い集めている。「現状」「過誤と真実」「その背景」「迷信論」の四部から成り、巻末に読者の問いに答える迷信身の上相談を付ける。