権五郎の目の矢を祀る木崎の矢抜様
どんな伝承か
後三年の役のとき、源義家の家来の鎌倉権五郎景政は、敵の鳥海弥三郎に右の目を射られた。それでも少しもひるまず、すぐさま矢を射返して、ただ一矢で弥三郎を討ち取った。そのあと仲間が目に刺さった矢を抜いてやろうと権五郎を寝かせ、顔に土足をかけて引き抜こうとすると、権五郎は「おれの顔に土足をのせるとは何事か」と怒った。そこで仲間は膝で押さえつけて矢を抜いてやった。こうして抜き取られた矢をまつったのが、木崎の矢抜様、すなわち矢抜神社だと伝えられている。
原典より
その抜いた矢をまつったのが木崎の矢抜様(矢抜神社)だという。—— 伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説(伊勢崎市(編)・伊勢崎市史)
『伊勢崎市史 民俗編――俗信と伝説』は、伊勢崎市が編んだ市史民俗編のうち、俗信と伝説・昔話の節の抜粋である。オサキや水死体を知らせる鶏などの俗信と、赤城と日光の神戦、赤堀道玄の娘の入水、『神道集』の宮子の龍宮、義経や鎌倉権五郎にまつわる伝説を、『伊勢崎風土記』などの記録や土地の語りを引いて記す。伝説を赤城山・『神道集』・義経・権五郎・寺社・入定・城などの七類に分けて述べ、十二支由来などの昔話を続ける。