以仁王の歌から生まれた和泉田の名
どんな伝承か
治承四年、宇治の平等院の戦いに敗れた高倉宮以仁王の一行が越後の小国城へ落ちのびる際、下山村を通り、村下のけやき坂を登ってここで休息された。眼下に広がる泉田集落のあまりの美しさに、王は近侍の者に村の名をお尋ねになった。この坂が京都の和泉境に似ていて懐かしく偲ばれ、登りつめ和泉境を眺むれば此処ぞ都の京路なるらん、とお詠みになった。案内していた村の重立った人々はいたく感激し、この御詠により泉田に和の字を冠して和泉田と書くようになったという。またこの坂も、京都へ上る近くの坂に似ているので京路坂と呼ぶようになったと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
南郷村史 第5巻(民俗編)――昔話と伝説(南郷村(編)・南郷村史・自治体史(民俗))
福島県南郷村(奥会津)に語り継がれた方言による昔話三十一話と伝説十六話を網羅する。昔話はきのこの化け物・食わず女房・三枚のお札・笠地蔵・桃太郎・猿婿入り・ほととぎすの姉妹・人喰い鎮守・天女の羽衣・羅生門の鬼など、語り手(和泉田の五十嵐ヤスら各集落の伝承者)を明記して収める。