哲学館で妖怪学を講じた井上円了
どんな伝承か
柳田国男より早く妖怪を学問の対象に据えたのが井上円了である。越後の寺に生まれ、東京帝国大学で哲学を講じながら、明治十六年ごろから怪異の事例を集めはじめた。同級生の箕作元八がイギリスの心霊研究を紹介する論文を書いたのが弾みとなり、明治十九年には不思議研究会を組織する。円了は不思議庵主人と名乗ってコックリさんを調べ、合掌を続けると掌のあいだから細い糸が生じるという現象も実験しようとした。明治二十六年からは哲学館で妖怪学の連続講義を行っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪の民俗学――日本の見えない空間(宮田登・宮田登・民俗学・昭和(現代民俗学))
民俗学者・宮田登が、妖怪を『日本の見えない空間』の問題として論じた現代民俗学の名著。Ⅰ妖怪のとらえ方では、柳田国男『妖怪談義』の妖怪論(妖怪は出る場所が決まり、零落した神)と、幽霊(都市の人間関係から相手を追って出る)との区別、昭和五十四年に流行した口裂け女(受験社会で母に叱られる子供の心意の投影、『喰わず女房』の鬼女の再来)と産女、島根県松江の雲州皿屋敷のお菊、明治の井上円了の妖怪学と真怪・仮怪の分類を扱う。