弘法大師の独鈷で湧いた清水稲荷の泉
どんな伝承か
東京の駒形の清水稲荷は、嘉承年中に弘法大師が東国を巡ったとき、お告げを受けて如意宝珠を御神体とし稲荷として祀ったものという。また江戸名所記には、大師が武蔵の小坂を下るとき、水桶を頭にのせた老女に水を求めると、この辺りには水がなく遠くから汲むのだと言うので、大師は哀れんで独鈷で加持し、そこに清い泉が湧き出たので、そばにこの社を祀ったとある。
原典より
又江戸名所記の内に、弘法大師東国遊化の砌武蔵国にて、ひとつの小坂(東叡山西の麓清水門の坂是なりといへり)下り給ふ頃老女の水桶を戴きて行くあり。—— 迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
迷信の研究(富士川游(監修)・富士川游・医学史/迷信研究・1932年(昭和7年))
『迷信の研究』は、富士川游が東京の中山文化研究所で監修し、昭和七年二月の緒言を付して世に出した迷信の解説書である。迷信を思考の錯誤ととらえ、その発生の由来を説いたうえで、身体・精神・疾病・妊娠と出産・育児・禁厭・相法・卜占・天文と暦・犯罪・宗教の欄ごとに迷信の事例を挙げ、科学的な説明を加える。同研究所の展覧会に使った説明のポスターをもとに簡潔にまとめ、巻末の奥書に参照した独逸と日本の文献を掲げる。