真間の手兒奈
どんな伝承か
江戸川の流れる葛飾の野、国府台の東にある橋から東の小さな丘の上に古木があり、その下の石塔を手児奈の墓と呼んでいる。真間の手児奈は万葉集に詠まれた勝鹿の真間の娘子で、麻の衣に青い襟をつけ、髪も梳らず沓も履かぬ姿ながら、錦に包まれた高貴な子も及ばぬほど望月のように輝く美人であった。花のように笑んで立てば、夏虫が火に入るように、港へ船が集まるように人々が思いを寄せた。手児奈はなぜ自分がこのように人々に慕われ苦しむのかと思い悩み、いつまでも散らぬ花はないと人の心を乱すまいとして、真間の入江に身を沈め、その名を永久に残したと伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
相馬伝説集(寺田喜久(狂花)・相馬郷土研究・1922年(大正11年))
『相馬伝説集』は、寺田狂花が著し、大正十一年二月の自序を付した下総相馬地方の伝説集である。北相馬郡の小文間・布川・取手・守谷などを中心に、平将門や一色宮内にまつわる伝承、寺社の縁起、城址や墓碑、相馬霊場の札所を記し、猿島郡・結城郡・東葛飾郡などの伝説にも及ぶ。巻頭に緒言と坂巻湖舟の序・自序を置き、「△」を付けた小項目を土地ごとに並べ、『相馬日記』『下総旧事考』などの記事を引き、相馬の俗信も書き留めている。