譲原村のおうさき触れの請書
どんな伝承か
群馬県にも、三山村の再請書とほぼ同じ請書が残されている。寛延四年四月に甘楽郡譲原村で作られたおうさきの触れについての請書で、文面は延享二年のものとほとんど変わらず、名主以下百四十人の村民が名を記して印を押している。提出先も同じ関東郡代伊奈氏の役所であった。近藤章が『群馬県史研究』で紹介したもので、関東郡代がオーサキ狐の弊害の出ている支配地の村々に、そろって提出を命じたものかと考えられている。
原典より
それは前述の近藤章氏が「群馬県史研究」のなかで紹介した「寛延四年四月甘楽郡譲原村おうさき触につき請書」である。—— 近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相(小池信一)
『近世史料にみる憑き物「オーサキ狐」の諸相』は、小池信一が著した、埼玉県に関わりの深い憑き物オーサキ狐を近世の古文書から論じた研究論文である。寛延四年の秩父郡三山村「おうさき」追放の再請書、天保六年の尾先狐追放教諭の触をめぐる村役人の願書、慶応三年から翌年にかけての比企郡番匠村の沼境と尾崎狐をめぐる出訴一件の三史料を翻刻する。はじめにで民俗調査から知られる俗信を六項目に整理し、各史料に解説を付す。