祟る田を鎮めた辻蔵の墓と辻田
どんな伝承か
大村のあたりに辻蔵という男がいて、多くの田を持っていた。ところが人がよすぎたため、周りの者に少しずつ田を取られ、手元の田はわずかになってしまった。とうとう怒った辻蔵は、死ぬ間際に、この田を作る者には祟ってやると言い残して死んだという。それからというもの、この田の持ち主には急な死や大病が相次ぎ、代々不幸が続いた。農地解放のときにこの田を買ったのが大野屋で、日蓮宗の信者だったことから仏像を作って辻蔵の霊をまつった。これが辻蔵の墓と呼ばれ、田は辻田といわれるようになったという。
原典より
とうとう辻蔵は怒って、死ぬ間ぎわに、「この田んぼを作るもんにはたたってやる」と言い残し死んだという。—— 新野民俗誌稿――長野県下伊那郡阿南町(口頭伝承)(湯田朝子(第十五章「口頭伝承」)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新野民俗誌稿――長野県下伊那郡阿南町(口頭伝承)(湯田朝子(第十五章「口頭伝承」))
『新野民俗誌稿――長野県下伊那郡阿南町(口頭伝承)』は、阿南町新野の民俗誌稿のうち、湯田朝子がまとめた第十五章「口頭伝承」の報告である。昭和五十三年一月に新野の古老五人から採話した昔話・伝説・ことわざ・なぞを収め、昔話には日本昔話名彙・日本昔話集成の話型を注し、伝説は信仰的・歴史的・文芸的の三つに分けて話者の名と生年を添える。昔話の語り始めと語り納めの形式や語りの場の変化も記し、ことわざとなぞで結ぶ。