承和の変と冷泉院の松の怪
どんな伝承か
承和九年七月のある夜、平城帝の皇子阿保親王の邸から一人の小者が文箱を抱えて飛び出し、都大路を走り抜けて嵯峨太皇太后橘嘉智子の邸へ吸い込まれた。およそ一刻の後、別の小者が同じく文箱を抱えて裏門から走り出し、中納言藤原良房の門内へ慌ただしく消えた。数日後、嵯峨上皇が没して二日目の七月十七日、六衛府の兵が宮門と内裏を固め、近衛兵の一隊が伴健岑・橘逸勢の邸を囲んだ。東国で兵を挙げ皇室を傾けようとしたとの嫌疑である。翌日、冷泉院の西釣殿の山辺にあった松の大樹が突如理由もなく折れ倒れ、果たして二十三日、皇太子恒貞親王は兵に囲まれて廃された。史上これを承和の変と呼ぶ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の妖怪(早川純夫・早川純夫・妖怪史・1973年(昭和48年))
『日本の妖怪』は、早川純夫が一九七三年(昭和四十八年)に著した妖怪史の読み物である。『出雲風土記』『日本書紀』から『日本霊異記』『今昔物語』、江戸の『新著聞集』などの随筆までの古典に記された妖異を、かかわりのある実在の人物や事件とともに古代から近世へ時代順にたどる。全八章で、引用は意訳を交えて『』でくくり、仏教談や霊験談、地方の民話はおおむね除き、第七章には江戸の見聞録から選んだ二十話を並べる。