本海行人の入定談
どんな伝承か
江戸時代初期、赤城の里の田中左衛門夫婦は神仏に祈り続け、やがて男児を授かった。その子は六衛門と名付けられ、幼少から信心深く育った。青年期には修験道に身を捧げ、法名を本海と改めて各地の霊場を巡った。善光寺に三十三度参籠し、大日堂を建立するなど、病者を救い民を導いた。やがて寿命が尽きるとき、本海は家族に自らを生きたまま埋葬するよう願った。家族は涙ながら従い、白装束の本海を棺に納めて土に埋めた。三日間、地中から鐘の音が響き続け、やがて絶えた。寛文十年九月、本海は入定して往生したとされた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市が編んだ市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。各話は会話を交えた語り口に書き直され、多くの話の末尾に〔 〕で由緒や文献上の注を添える。