金毘羅講から米山講まで柏崎の登拝講
どんな伝承か
米山薬師は農業神であると同時に、漁師にとってヤマミの目標となる山であり豊漁をもたらすとも信じられた。悪病治癒の神ともされ、一貫目の石に名前を書き餅とともに供えて病気平癒を祈願する習俗もあったという。柏崎周辺には米山塔が約二十基あり、江戸中期以降の文化・文政期から盛んになったとみられる。登拝講には戸隠講、御嶽講、湯殿山講などもあり、講員は先達に連れられ数日をかけて霊山を参詣し、無病息災や豊作を祈った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。