海中から現れた鯨波の湯殿山塔
どんな伝承か
鯨波には湯殿山講があり、田村愛之助の「鯨浦随筆」が伝える掛軸の裏書には、明治五年七月に登拝した佐藤三右衛門・保坂孫兵衛・中村伝三郎ら十四名の名が並ぶ。以後は同行四人ほどに減ったが、大正十一年頃からは二十三夜講と合わせた代表六人が出羽三山へ向かうようになった。この講の湯殿山石塔は、もともと沖のさざえ島の海中で見つかったもので、手操り船や大網船を寄せ、舟の栓を抜いて沈めては浮かせる作業を繰り返し、ようやく引き揚げたと伝えられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。