浅草へ降ってきた京の家来
どんな伝承か
文化七年七月三十日の夜のことである。銭湯帰りの町内の若者が浅草南馬道の竹門のあたりを通りかかると、その眼の前へ突然、二十五、六歳の裸の男が降ってきた。若者は肝を潰して番屋へ駆け込み、町役人が現場に来ると、男は死んだようになって倒れていた。医者は脈は普通だがひどく疲れているという。やがて目を覚ました男は、ここはどこかと尋ね、江戸の浅草だと聞くと涙をこぼし、自分は京都油小路二条上ルの安井御門跡の家来伊藤内膳のもとにいる安次郎だと名乗った。今月十八日の朝、下男二人を連れて愛宕山へ参詣し、木蔭で涼んでいると老僧が近づき、面白いものを見せようと誘われ、頭がぼうとなって逆らえなくなったと語ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
河童・天狗・妖怪――民俗随筆(武田静澄・武田静澄・民俗随筆・1956年(昭和31年))
『河童・天狗・妖怪――民俗随筆』は、武田静澄が昭和三十一年に著した民俗随筆である。天狗と神かくし、河童、座敷わらし、山の神と山の妖怪、狐狸とつきもの、水辺や海の亡霊、死霊と御霊などをめぐる伝承を、『今昔物語』などの古典の説話と各地の民俗の事例から集めて語る。短い見出しを立てた小文を連ねる形をとり、神かくしにあう心理や幻覚、お化けの心理にも触れて、妖怪を信じる心のはたらきを考える。