奪われた槍を取り返させた愛宕の神
どんな伝承か
中野田の明照寺の門前に建つ愛宕社には、次のような創建の由来が語られている。愛宕の神は、この土地を治めた春日氏が代々いくさの陣中に奉じてきた守り神だった。天正のころ、岩槻での合戦のさなかに、春日下総守景定の弟の与兵衛宗定は、手にしていた槍を敵に取られるという失態を演じた。宗定はこれを深く恥じて愛宕の神に祈りをささげたところ、あくる日の合戦で目ざましい手柄を立て、奪われた槍も見事に取り返した。神の加護をしみじみと感じた宗定は、この地に社を建ててあつく祭ったという。春日氏は江戸時代には旗本となり、中野田の三百石もその知行地で、宗定は寛永十二年に世を去って菩提寺の明照寺に眠っている。
原典より
愛宕は春日氏代々軍中の守護神であり、天正年中、岩槻合戦のとき、春日下総守景定の弟与兵衛宗定は軍中で持っていた槍を敵に奪われたので、大いに恥じ、この神に祈ったところ、翌日の戦いて大いに功をたて、槍を奪い返した。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史)
『浦和市史 民俗編――伝説』は、浦和市史の民俗編のうち、第十章「伝説」を収めた部分である。調神社の片目の鯉や兎を飼わない言い伝え、日蓮上人の駒つなぎのケヤキ、見沼の竜神や笛、別所沼の大蛇、地名や塚の由来、特定の作物や弓矢を忌む家の言い伝えなど、市内に伝わる伝説を集める。旧市部から西浦和まで地区別に節を立て、見沼の伝説は一節にまとめ、章の初めに『埼玉県伝説集成』などの引用文献を掲げ、話のあとに▽印で異説や由来を補う。