二階堂資朝が鎧を埋めた塚
どんな伝承か
駒場の蓮昌寺の前には、かつて鎧塚と呼ばれる塚があった。蓮昌寺を開いた二階堂右衛門督資朝が、ここに鎧を埋めたことからその名がついたという。資朝は小田原北条氏の家臣で、落城後に文蔵村へ逃れ、のちにこの地へ移り住んだ人物である。塚は昭和三十九年に取り壊されたが、その際、資朝夫妻が縁者とともに法華経を写して埋めたことを記した石の函が見つかった。
原典より
この塚がそう呼ばれるのは、蓮昌寺の開基開山である二階堂右衛門督資朝が鎧を埋めたからという。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史)
『浦和市史 民俗編――伝説』は、浦和市史の民俗編のうち、第十章「伝説」を収めた部分である。調神社の片目の鯉や兎を飼わない言い伝え、日蓮上人の駒つなぎのケヤキ、見沼の竜神や笛、別所沼の大蛇、地名や塚の由来、特定の作物や弓矢を忌む家の言い伝えなど、市内に伝わる伝説を集める。旧市部から西浦和まで地区別に節を立て、見沼の伝説は一節にまとめ、章の初めに『埼玉県伝説集成』などの引用文献を掲げ、話のあとに▽印で異説や由来を補う。