陣太鼓に入って沼影へ来た観音
どんな伝承か
沼影の広田寺観音堂の本尊、木造の聖観音立像には次の由来が伝わる。行基が刻んだこの像は近江の三井寺に納められ、火災の際に円喜房が背負って鞍馬山の草堂へ移した。建長四年、諸国を巡る北条時頼が像の前で夜を明かして霊夢を見、鎌倉の東勝寺へ移した。元弘元年に鎌倉が攻め囲まれると、腹を切ろうとした四郎左近入道は像に運を祈り、陣太鼓に納めて沼影まで落ちのび、お告げを受けてこの地に祭った。文禄二年九月に像は盗まれ、奥州二本松の貫川七平の手に渡ったが、夢告に従い札を立てて送り出すと、村から村へ継ぎ送られ三十四日目に寺へ帰り着いたという。
原典より
さて、時が移り、文禄二年(一五九三)九月、この観音様が何者かに盗み取られた。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史)
『浦和市史 民俗編――伝説』は、浦和市史の民俗編のうち、第十章「伝説」を収めた部分である。調神社の片目の鯉や兎を飼わない言い伝え、日蓮上人の駒つなぎのケヤキ、見沼の竜神や笛、別所沼の大蛇、地名や塚の由来、特定の作物や弓矢を忌む家の言い伝えなど、市内に伝わる伝説を集める。旧市部から西浦和まで地区別に節を立て、見沼の伝説は一節にまとめ、章の初めに『埼玉県伝説集成』などの引用文献を掲げ、話のあとに▽印で異説や由来を補う。