僧行信の厭魅と下野薬師寺左遷
どんな伝承か
『続日本紀』に記された妖術の事件の一つである。孝謙天皇の天平勝宝六年十一月、薬師寺の僧行信が、八幡宮の神主である犬神多麻呂らと共に厭魅、つまり呪いを行った罪に問われ、行信は下野国の薬師寺へ左遷された。著者は、同書には妖術に関わる事件が少なくとも六件あり、うち二件が厭魅、ほかは蠱毒によるものだとし、奈良朝の孝謙天皇の代には妖術師の処罰が二度も行われたうちの一つとしてこれを挙げている。
原典より
一は、天平勝宝六年十一月甲申、薬師寺の僧行信が、八幡宮の神主犬神多麻呂らと厭魅をなした罪により、行信が下野国薬師寺へ左遷された事件であり、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。