寒厳義尹が海上で見た白狐の霊神
どんな伝承か
豊川稲荷の縁起によると、順徳天皇の第三皇子とされる寒厳義尹禅師は、文永四年、宋での求法を終えて帰る途中の海の上で、稲穂を担ぎ宝珠を捧げ、白狐にまたがった霊神の姿を見て、そのお告げを受けた。感激して帰国した禅師は、目にした尊い姿を自らの手で彫り上げ、守護の善神として祀った。のちに六代目の東海義易禅師が、嘉暦元年十一月二十二日に豊川の地へ円福山妙厳寺を開き、その鎮守として境内に一宇を建てたのが、今日の豊川吒枳尼真天の始まりだという。以来、開基の今川義元をはじめ多くの武将や貴人がこれを信仰し、有栖川宮は「豊川閣」と大書した扁額を寄せたと縁起は伝える。
原典より
いうところの豊川稲荷とは、正しくは円福山妙厳寺の鎮守豊川吒枳尼真天と申すべきであって、縁起によれば、順徳天皇の第三皇子寒厳義尹禅師が、文永四年、入宋求法の帰途、海上にて稲穂を荷い宝珠を捧げ白狐に跨がった霊神を見、…—— 日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・1959年(昭和34年))
『日本の憑きもの――俗信は今も生きている』は、石塚尊俊が昭和三十四年に著した研究書である。狐・犬神・蛇などの動物霊が人に憑くという俗信と、それを操るとされる家筋について、全国の伝承と近世以来の文書を集めて論じる。出雲・隠岐・豊後・土佐では筋の家の割合や縁組の偏りを調べ、憑きもの落としの行法や家の神とのつながりまでを七章で追っている。