大久保稲荷の白狐と木挽の祟り
どんな伝承か
大久保の稲荷社は歌代寛治の発願で三河の豊川稲荷を勧請したという。子供のトビヒに効くとされ参詣が絶えなかったが、明治三十年頃には人足も途絶え、歌代氏も東京へ移って荒れるにまかせた。のち長岡の川上佐太郎の持ち物となり一時は賑わいを取り戻したが、米騒動の焼き打ちに遭い、守る者もないまま荒町の佐藤御嶽様が引き受けた。その折、境内の木を比角の某へ払い下げ木挽に伐らせた。ある日、木を伐る木挽の前に白い狐が現れた。木挽が身震いして金槌を投げつけると、狐は宙を飛んで逃げ去った。その後この木挽は首を吊って死に、稲荷の祟りとされた。祠を屋敷へ移した佐藤是松は中風になり、預かった柴井清治も落ちぶれて早世したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。