和田八幡宮の刻線の石
どんな伝承か
和田八幡宮の境内、二の鳥居の西側には、古くから縦一・八メートル、横〇・五メートルほどの長方形の自然石が南北向きに置かれ、表に多くの線が刻まれているが、何を意味するのかわからなかった。和田地区の平地でも部木原遺跡の住居跡などから、弥生時代にはすでに稲作が営まれていたと考えられている。太陽を仰いで暮らした古代の人々が、刻まれた線の先から日が昇るのを見て種まきや植え付けの時期を知った暦か、方角を示す地図ではないかと推し量り、一年をかけて追ったところ、冬至と夏至の日の出の位置にぴたりと合う線があり、古代の農事暦の石とわかったという。
原典より
この線について、一ヶ年間にわたって追跡調査した結果、冬至と、夏至の陽の出の位置が全く一致している刻線があります。—— 篠栗町誌 民俗編――伝説・怪異(篠栗町(編)・篠栗町誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
篠栗町誌 民俗編――伝説・怪異(篠栗町(編)・篠栗町誌)
『篠栗町誌 民俗編――伝説・怪異』は、筑前の篠栗町の町誌民俗編から伝説の章を収めた部分である。鉾立山の玉依姫、若杉山の岩にまつわる弘法大師や鬼の伝承、薬師・地蔵・観音の霊験、平家岩や古井戸の言い伝えを番号つきの項で並べ、『筑前国続風土記』などの地誌や説明板の文を引く。後半では狐に化かされた話や狐憑き、狸の法座、巷の笑い話、若杉山の白蛇と杵蛇、河童の話を、古老の語りを交えて記す。