石田三成の遺児と堀金屋敷
どんな伝承か
天保の頃まで桐町十文字の西南隅に堀金屋敷というものがあり、今もその横丁を堀金横丁と呼ぶ。慶長五年、石田三成が関ヶ原に敗れると、その遺児が直江兼続を頼って米沢に来て、しばらく城北の堀金村に潜伏し、同十四年の城市改正の際に地名の堀金を姓としてこの地に家を構えたという。元禄の頃には平左衛門の代に家が栄え、立町の富商平吹吉兵衛とともに両替屋を命ぜられた。屋敷続きの堀の曲り角には石の唐櫃を埋め、幕府をはばかるものを隠したと伝わる。この家に生まれた堀金おそのは絶世の美人で、顔を見られるのが嫌になり、一生涯うつむいて道を歩いたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
米沢市史 民俗編――伝説(米沢市(編)・米沢市史・自治体史(民俗))
『米沢市史 民俗編』第八章口承文芸所収の伝説。山形県米沢市に伝わる鳥獣草木・山川湖沼・地蔵社寺の伝説を採録する。