武田小太郎軍扇の椋
どんな伝承か
承久の乱のとき、鎌倉から攻め上った東国の大軍は土田に陣を張り、木曽川の大井戸渡しを挟んで京方とにらみ合った。太田から深田にかけて布陣した京方は二千人ほどだったが守りが固く、鎌倉方はなかなか川を渡れなかった。武田五郎信光の子の小太郎は、六月五日の夜更け、闇に紛れて手勢を率い、対岸にそびえる椋の大木を目当てに川を押し渡って斬り込んだ。激戦の末、京方は明け方に陣を捨てて敗走した。一番乗りを果たした小太郎は椋の根元に立ち、朝日に軍扇をかざして対岸の味方を招いたという。ライン小公園の川岸の大椋がその木だと伝わる。
原典より
先陣の功名をたてた小太郎は、椋の木の根をふんまえて、折から昇る朝日に軍扇を高らかにかざして、対岸の味方をさしまねいた。—— 美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
美濃加茂市史 民俗編――伝説(美濃加茂市(編)・美濃加茂市史)
『美濃加茂市史 民俗編――伝説』は、美濃加茂市の市史民俗編のうち、第一三章「俗信」と、第一四章「伝説 昔話 世間話」の総説および第二節「伝説」を収めたものである。天候・農事・人事にかかわることわざと俗信、民間療法、樹木の禁忌を挙げたうえで、伊深・蜂屋・太田・三和など市内各地区に伝わる三度栗、龍宮さまの淵、火塚、山男、かぶと淵などの伝説六十四話を記す。昔話・世間話の節は含まず、伝説の多くは題に伝承地区の名を添える。