痰の病を治す石橋山の真田与市の墓
どんな伝承か
小田原の石橋山に真田与市の墓がある。石橋山の合戦で与市は大庭景高を組み伏せたが、刀を抜けないので家来を呼ぼうとしたところ、痰が喉にからんで声が出なかった。そうするうちに敵の長尾為宗が来て、与市は討たれてしまった。痰に詰まって命を落としたのはさぞ無念だったろうと人々は思いやり、その霊に祈れば必ず治してもらえると信じて、痰の病に苦しむ人がこの墓に詣でるようになったという。
原典より
これは石橋山合戦のとき与市が大庭景高を組み伏せたが、刀を抜くことができないので家来を呼ぼうとしたが、痰が喉にひっかかって声がでない。—— 日本の俗信 第3――生活慣習と迷信(迷信調査協議会・日本の俗信・1955年(昭和30年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の俗信 第3――生活慣習と迷信(迷信調査協議会・日本の俗信・1955年(昭和30年))
『日本の俗信 第3――生活慣習と迷信』は、文部省に設けられた迷信調査協議会が昭和三十年に編んだ調査報告書である。昭和二十四―五年の全国の国民慣習調査をもとに、暦の吉凶、霊魂信仰、民間療法、運勢判断などの迷信・俗信が、地域・年齢・性別・職業によってどの程度信じられているかを分析する。原田種雄・今野圓輔・赤松金芳らが分担した九章からなり、第九章に全国から集めた縁起・言いならわしを禁忌・民間療法・卜占・たたりなどに分けて収める。