狐憑きとされ閉じ込められた青年の死
どんな伝承か
昭和三十八年二月十六日、鳥取県西伯郡大高村で十九歳の青年が突然精神に異常をきたした。村人たちはこれを狐憑きだと言いふらし、家の者は世間体をはばかって医者にも診せず、一室に閉じ込めたまま食事も与えなかった。青年は三月一日、栄養失調で亡くなった。著者は、大学病院に来る狐憑きの患者は氷山の一角にすぎず、多くは祈禱師や民間医の手に委ねられていたという精神科医の言葉とともにこの事件を挙げ、戦後の山陰の農村でもなお狐憑きの信仰が人の命を奪うほど根強かったことを示している。
原典より
近頃では、さすがに、狐憑き患者のことを聞かなくなったが、今から二〇年前頃の山陰農村では、狐憑き騒動がごろごろしていた。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。