シャーということ
どんな伝承か
シャーとは大分県北海部郡海辺村大字諏訪の一小部落の人々の俗称で、慶長一〇年(一六〇五)安芸国能地村からこの地に来住した平家の舎人、車者の子孫だという。彼ら自身は「オリヤヘイケノバッソンラ」と自負していた。打瀬網漁業を専業とし、漁船に妻子を乗せて浦々に出漁し、とれた魚を妻が頭に載せて行商した。のちにはすり鉢や猫鉢、雑貨も桶に入れて頭上運搬で売りさばいたという。祖先が犬神を祀っていたと自ら語る者もいると地元の研究家は伝えるが確証はない。むしろ流浪しながら行商する特殊な生活のため土着者から疎外された、犬神迷信の犠牲者ではないかとされる。
原典より
シャーというのは、大分県北海部郡海辺村大字諏訪の、一小部落の人々の俗称で、慶長一〇年(一六〇五)安芸国能地村から、この地に来住した平家の舎人である車者の子孫であるという。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。