狐持ちに指定される
どんな伝承か
山本家が狐持ちに指定された時期は、古文書からは寛政初年だが、土地の変動からみると安永までさかのぼれそうである。安永四年(一七七五)の所有田畑は一四六町歩、うち田が一二七町余、畑が一九町余で見米は一九九一石余、約三町八反余の手作地を残して大部分を小作経営に委ねる完全な寄生地主であった。ところが翌安永五年、一大異変が起きて手作地が約二〇町歩へ急増する。全所有地はむしろ一町歩増えているので、これは小作人との契約不調、おそらく特定部落による集団的な耕作拒否の結果とみられ、山本家への第一回の疎外がここで試みられたと思われる。
原典より
山本家がいつ頃狐持ちに指定されたかといえば、古文書からは、寛政初年である。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。