悲しい上野前の縁切状
どんな伝承か
平田市唐川の上野前には悲しい縁切状が残る。宝暦九年卯七月九日の日付で、四年前に権太郎、このたびは定六の女房に邪気が付き、御山での祈禱と吟味の末に度々白状に及んで証拠もあり、自分の所持する狐に紛れないと認めた甚八が、家内その他一族と子々孫々に至るまで義絶されることを承知したという内容で、唐川村の善蔵・甚八・虎松、年寄助八、庄屋彦十の証判が添えられている。親戚一統八五名宛の、村八分の承諾書ともいうべきもので、狐持ちの汚名が親戚に及ばぬよう村方と親戚から強制された結果と思われる。
原典より
平田市唐川の「上野前」には、悲しい縁切状が残っている。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・1975年(昭和50年))
『出雲の迷信』は、狐持ちの家に生まれた国史研究者の速水保孝が、一九七五年夏のはしがきを付けて著した啓蒙書である。出雲・伯耆・隠岐に根強い狐持ち迷信を、自身の結婚や子ども時代の体験、柳田国男との対話、土佐の犬神統の調査、松江藩の文書、祈禱師と村八分の実例からたどり、家名や人名もほぼ実名で記す。わが家は狐持ちに始まる九章で、憑きものの意味、狐持ちの発生と実態、戦後の打破運動を述べ、狐持ちのなくなる日で結ぶ。