虎御前が庵を結んだ北村の曽我比丘堂
どんな伝承か
美土里町北の下北の山中に、曽我比丘堂という小さな社と、大磯の虎御前の墓がある。曽我兄弟が富士の裾野で仇を討ったころ、十郎の愛人だった大磯の虎御前は、討たれた十郎の冥福を祈るため尼となって大磯の高麗寺にいた。やがて芸備の地へ下り、豊田郡戸野村から世羅郡赤屋村をめぐって、正治二年にようやくこの北村に落ち着き、庵を建てて終の住みかにしたという。承元三年に三十六歳で亡くなったと記録されている。江戸期の芸藩通志も、北村に虎が流れ住んだ跡と墓があり、石を積んで松を植え、そばの小堂には虎が持って来たという仏像を安置すると記している。
原典より
美土里町北の下北の山中に曽我比丘堂という小さなお社と大磯虎御前の墓がある。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。