尻の切れた多治比川の蜷
どんな伝承か
吉田町を流れる多治比川にすむ蜷は、どれも尻の先が切れているという。まれに切れていないものが見つかると、薬になるといって大事にされた。ほかの支流や本川の蜷は、みな尻がとがっている。江戸期の国郡志下調帳によれば、多治比川筋の万能という所の蜷はとりわけ味がよく、残らず尻が切れているので、土地の者は万能の尻切蜷と呼んだ。本川の蜷は形が大きく苦みがあるという。毛利元就は多治比川の川海苔や根芹など三品を朝廷に献じたと言い伝えられている。
原典より
吉田町の多治比川に今もなおすむ蜷に限って尻が切れている。—— 高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
高田郡史 民俗編――伝説(高田郡(編)・高田郡史)
『高田郡史 民俗編――伝説』は、広島県高田郡の郡史の民俗編のうち、伝説の部である。吉田町・美土里町・甲田町・八千代町・高宮町・白木町などに伝わる八岐大蛇退治、毛利元就の百万一心、弘法大師のいろは石、つきものを落とすというはりいぶきの枯木などの話を、土地ごとに取り上げる。多くの話に、かつて村々から提出された「国郡志下調書出帳」の該当記事を原文のまま並べ、古い記録と今の語りとを照らし合わせている。