重右衛門家の墓と京徳川・楽満川の名
どんな伝承か
徳前の重右衛門家の屋敷に立つ大榎の根もとには、墓石が二つ並んでいる。石動山の山伏に討たれた北太郎と加賀太郎の墓だとする話が知られているが、この墓にはもう一つ別の言い伝えがある。それによれば、二つの墓は小田中にある親王塚の主に仕えた側室二人のもので、ひとりは京徳院、もうひとりは楽満院という名であったという。墓のそばを流れる二筋の川が今も京徳川・楽満川と呼ばれているのは、この二人の名にちなんだものだと語られている。
原典より
その側室の名は、京徳院(きようとく)と楽満院(らくまん)であるといわれ、その二人の名前を取って、今も京徳川と楽満川という川が近くを流れとるげ。—— 鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史)
『鹿島町史 通史・民俗編――伝説』は、鹿島町の町史通史・民俗編のうち、昔話と伝説の節と、続く「俗信と俚諺」の冒頭を収めたものである。石動山麓と邑知地溝帯の集落で聞いた話を、芋掘り権兵衛や屁売りじいさなどの昔話、亀塚や椀貸穴などの自然伝説、初瀬の観音様や井田の不動滝の信仰伝説、久江の道閑や村境を決めた話の歴史伝説に分け、在所名を添えて載せる。伝承の状況や語り始めと結びを述べた解説を前に置く。