長沢雄楯が証言した日露開戦の神示
どんな伝承か
長沢雄楯の証言によれば、明治三十四年四月ごろ、日露戦争の機運が高まって、開戦の時期を神がかりで確かめる必要が綾部で起こった。王仁三郎は四方平蔵ともう一人を伴って長沢の家を訪れ、王仁三郎が神主、長沢が審神者となって神を降ろした。神は、開戦はこの年の八月か、延びれば明治三十七年二月で、連戦連勝だが軍艦七隻の沈没は免れず、平和の回復は八年の九月になると告げ、日本は支那の海岸の一部と朝鮮全部、樺太の南部を得るとも述べた。かかったのは石清水八幡宮に仕える神霊だったといい、長沢は自分が生き証人だと語っている。
原典より
いまだかつて神がかりで、こんな大戦争を数年前に予言し的確に中(あた)ったということはないのであります。—— 亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界(加藤正民・たま出版・心霊/予言)
『亀岡の大予言者――東洋の巨人・出口王仁三郎の世界』は、「天下の浪士」を名のる加藤正民が、出口ナオと出口王仁三郎、教団大本の歩みを心霊の立場からたどった論考である。ナオの神がかりと筆さき、王仁三郎の出現と高熊山の修業、『霊界物語』の口述、二度の大本事件、晩年の陶芸と死までを、筆さきや関係者の証言を引いて述べる。全編を通じて二人に現れた霊流を「A」「B」と呼び、大本の出来事が後の国の出来事を先取りした「型」を論じる。