老女の焼栗から生えた三度栗
どんな伝承か
親鸞は承元二年の春に越後へ下り、頸城郡の国府に二年滞在したのち、蒲原郡保田の郷にしばらくとどまって教化した。この地には、源三位頼政の家臣であった渡辺播摩次郎源競の子孫が、宇治の合戦で主従が討死したのちに落ちのびて庵を結んでいた。建暦二年の春、先祖の忌日の追善を営んでいるところへ上人が通りかかり、老女が拝んで家へ招き入れる。教えを聞いた老女は歓喜して念仏を唱え、焼栗を捧げた。上人はそれを受けて上野ヶ原へ行き、袖から焼栗を取り出し、我が勧める弥陀の本願が末世に栄えるならここに芽を生じ、一年に三度花咲き実り、葉は一枚が二つに分かれて茂れと告げた。言葉のとおり栗はたちまち根と芽を生じたという。老女の一子は出家して恵念房と名乗り、寺は孝順寺の号を賜った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第3巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第3巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全65話(山形・福島・新潟)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。