千町ヶ原を拓いた寝太郎と末益の名
どんな伝承か
山陽町の末益村は、その昔は潮の満ち干のある入り海だったと伝える。厚狭川のほとりには千石松という大木があり、昔はこの松に千石積みの船をつないだといい、山川の野田には牡蠣の付いた石が残るという。やがて海は埋もれ、広々とした空き地となった。大内氏が四か国を治めていたころ、世渡りの仕事もせず寝てばかりいる風変わりな男がいて、人々は寝太郎と呼んだ。男は厚狭川の水を引けば田になると考え、寝食を忘れること数十日、川上の沓村に大きな堰を工夫して県に訴えた。こうして千町ヶ原が田となり、末永く栄えるようにと村を末益と名づけたという。里人は男の墓に小さな祠を建て、寝太郎権現として今も年ごとに祀っている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第10巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第10巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全85話(岡山・広島・山口=中国地方)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。