かなしが浦と産が岳の地名由来
どんな伝承か
和泉式部は金周布浦で子を産もうとしたが、浦の人々に追い払われた。それからここをかなしが浦と呼ぶようになったという。式部は唐鐘のさんがたけまで来てようやく出産し、その地を産が岳という。水のない土地だったので赤子を袂に入れて大歳神社の坂を下り、そこを袂が坂と呼ぶ。磯辺に出ると子どもたちがつきまとって声高に罵ったので、ことたかの磯というようになった。下府でも追われ、石見の井戸の水で産湯を使わせたことから、その地を生湯と呼ぶ。式部は周布の夜泣き橋を経て三隅の子落に赤子を置き、九州へ旅立ったと伝える。牛鬼を詠んだ歌も式部が作ったといわれる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第11巻』は、山陰の鳥取・島根両県の伝説を集めた日本伝説大系の一巻である。矮姫による穀物の伝来、大山の山くらべ、伯耆の白兎、雲州皿屋敷、七尋女房、牛鬼、隠岐の後鳥羽上皇などを、伝承地を明記した口承の例話で示し、類話と近世以降の文献を添える。「文化叙事伝説」「自然説明伝説」の部に分けて話ごとに番号を付し、凡例のとおり例話・類話・文献・参考の順に並べ、多くの話に高木・柳田による伝説名を添える。