牛が倒れた場所の神牛塚
どんな伝承か
延喜元年、菅公は藤原時平の讒言によって右大臣を追われ、大宰権帥に落とされた。榎寺で二年の苦しい謫居を送ったのち世を去る。随臣の味酒安行が亡骸を車に載せて牛に曳かせたところ、四堂すなわち今の本殿の所まで来て牛は動かなくなった。ここに葬ってほしいのだろうと思ってその場に葬ったという。牛はさらに五条通りの半ばまで来るとばったり倒れて息を引き取った。そこで牛を葬って塚を築き、自然石の碑を建てた。この碑を神牛塚の碑と言い伝えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第13巻』所収の「文化叙事伝説」全35話(福岡・大分・佐賀・長崎=北九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。