河伯祭を廃した清麻呂と稲積
どんな伝承か
道鏡は怒りに堪えかね、清麿の足の筋を断ち、穢麿と改名させて大隅国へ流した。桑原の父老稲積は、落ちてきた清麿を憐れんで家に迎え、君父のように仕えた。宇佐の神へ祈るうち足の傷は癒えたが、清麿は都を思って痩せていく。その年は秋の長雨が続いた。この国では雨が長引くたび河伯祭と称し、大金で買った娘を河伯の嫁として中津川の淵へ沈める習わしがあった。清麿は水利の悪さこそ原因で、祭は役人と長老と巫女の利欲だと見抜き、祭の日に臨む。使者と称して大巫嫗も長老も淵へ投げ入れさせ、河伯はいないと宣して祭祀を永く廃した。以後は溝を掘って川水を田へ引き、洪水は絶えた。宝亀元年、道鏡は下野へ流され、清麿は都へ帰された。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第14巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第14巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全75話(熊本・宮崎・鹿児島=南九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。