牛馬が足を洗った奥州街道の牛ヶ池
どんな伝承か
徳川二代将軍秀忠の時に奥州街道が完成し、旅をする往来の人が多くなった。しかし当時は徒歩と牛馬のほかに頼るものがない時代である。この地の街道筋には七本櫟という名所があり、往来の牛馬は必ずここで一休みしたという。ここには牛によって掘りうがたれた池があり、馬方はこの池に牛や馬を入れて足を洗い、次の旅に備えた。よってこの池は牛ヶ池といわれる。東永年、西永年という地名は、牛ヶ池を開いた八山田の名主滝田佐野右衛門が頌徳のために建てた歌にちなみ、永く栄えることを祈念して東西に分けたものだと古老は語っている。
原典より
徳川二代将軍秀忠公の時、奥州街道が完成し、旅をする往来の人が多くなった、しかしながら当時は徒歩と牛馬以外に頼るものがない時代である。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。